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2012 02,22 20:16 |
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<橋下市長>小中学生に留年検討 大阪市教委に指示
毎日新聞 2月22日(水)11時15分配信 大阪市の橋下徹市長が、小中学生であっても目標の学力レベルに達しない場合は留年させるべきだとして、義務教育課程での留年を検討するよう市教委に指示していたことが分かった。法的には可能だが、文部科学省は年齢に応じた進級を基本としており、実際の例はほとんどないという。 ・・・ 小中学生の留年記事である。 橋本さんらしいといえば、らしい。こういう記事に反応してしまうとは、我ながら親になったものだ、と思う。 メディアで描かれる橋本さんは、行動は大胆だが、本当に国のことを考えていると映る。国のことを考えているが、あまり人のことを考えていないように思うのは、私だけではない気もするが。 それはさておき。 この記事に対し、「片岡義男とニュースのブログ」では、挫折も必要かもしれない、なんて意見もあるようだが、小中学生に留年を求める意図が挫折を味あわせるためではなく、子供たちに効果的な教育を行うためであることは、明らかである。当年で学ぶべきことがきちんと身についていないのに進級しても、更に分からなくなって勉強が辛くなるだけである。そうならないための留年措置は、子供の最終学力を伸ばす意味では有効だと思う。 とはいえ、この方策に対しては意見が2つある。 1つは、留年した子供へのケアである。挫折という言葉が真っ先に来るように、留年する=出来ない子との烙印を押される、というイメージが多くの人の中にあるようである。これは、日本人が横並びでないといけないという村八分への恐怖心を未だに持ち続け、かつ減点主義により失敗した者の責任を問う風潮のせいであると思われる。成長著しい子供のある一時期において、学力という限られた1側面が、同学年の平均値を下回っていたとして別に劣等感を抱く必要はないし、何かに失敗したわけでも、誰かに迷惑をかけたわけでもない。そもそも、大人たちが、そして親たちがそういう目で見るから、子供も大人の態度を見て、留年する=出来ない子とまるで人間そのものを否定するような見方をしてしまうのである。つまり、真にこの制度を進めるにあたって重要なのは、子供のケアなどではなく、大人の意識改革である。大人たちの意識改革もセットで提案していただきたいと思う。 2つ目は、留年という制度を1年区切りでやると、子供にとってその時間は長すぎると思われることである。当年の学力が十分に身についていなかったとしても、出席日数が病欠により0日という場合以外は、多少の知識や経験が増えているはずである。特に、学力テストで測る以外の、道徳心、協業の力、競争心など共同生活の場で培われるものはとても多い。学力が基準に達していなくても、人として精神的な成長を年齢相応に遂げているケースもある。そういう児童に対し、1年の経験を丸ごと再度やりなおすというのは、いささか乱暴だと思う。塾でやっているような、習熟度別クラスや、高校では既に当たり前になっている単位制の導入のほうが、より効果的であると思う。 もし、上記の課題を十分に認識した上で、現行制度ですぐやれる留年制度の実効をとりあえずの手段としてやらせたとすると、すぐ出来ることをやったという意味で評価はするが、ビジョンが不明確という意味ではがっかりするアクションという評価になる。 橋本さんって弁護士やってたくらいだから、きっと学校の成績はよかったんだよね。テストの点がうまく取れなかった人のことも、もう少し考えないと、足元すくわれると思うなぁ・・・。 PR |
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