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勝間和代(経済評論家)×村木厚子(内閣府政策統括官兼待機児童ゼロ特命チーム事務局長)vol.2"空気のような差別"が満ちるこの国で女性が直面する「産み悩み」と「育ての苦労」 facebookのメッセージを追っていたら、こういう記事が目に留まった。web上の記事としてかなり長い記事だったが、とりあえず読んでみた。vol.3に続くということなので、まだ続きがあるようだ。 いくつか感想があるが、女性だけで女性問題を論じるとこうなるのか。というのが第一印象。ただ、ご苦労はされたかも知れないが勝間さんも村木さんも、ある意味うまくいった側の方で、しかもお2人とも相当に頭が良い。話の中身はなるほどと思うことがとても多いし、しかも内容が具体的に何をするべきかまで落とし込まれている。 で、記事を読んで分かることは、日頃自分のことばかりにかまけている一般peopleが思いつくようなことは、およそ誰かが思いついているし、議論されていて、放置されているわけではない、ということである。皆がこういう記事に関心を持つと、政治離れや政治家への不信感も多少払拭されるのではないかと言う気がする。 このブログでも、今年2月に少子化対策と年金政策は表裏一体であるべきだという意見を記事にしたが、まさにこれは個々人が自らの損得と、社会全体の行く末をどう捉えるか、なぜ皆がそう考えるのか、という最も根本的なところに、最後は行き着くと思う。繰り返すが、最後には、子育てしないと損だと思わせないと、少子化は収まらない。 冒頭に紹介した記事にも、子どもへの資源投入は、最も確実な投資の1つだという意見があった(vol.1のほうだったかもしれないが)。ここで重要なのは、誰が投資して、そのリターンが誰に帰ってくるか、個人としての損得がどうか、ということである。 子育てには、時間とお金の両方がかかる。子供への投資は、拠出者に資金供給させることで娯楽を奪い、時間供給させることで自己実現の機会を奪うことになる。両立はもちろん可能だが、子育てをしない場合に比べて、不利なことは間違いない。これを投資と考えるなら、リターンは子孫の代の繁栄と老後の安心であろう。子孫の繁栄に個人としての実利はないので、老後の安心と引き換えに若いころの娯楽や自己実現の機会を拠出するかというと、おそらく多くの人がNoと答えるのではないか?その根底に流れる心はなにか、というのが日本で少子化が解決しにくい、根底の問題なのだと思う。この議論は、子育てと自らの人生との両立を曲がりなりにも果たした人同士の会話では、おそらく出てこない問題だと思う。そして、これから少子化の鍵を握る若い世代が、先の人生を考えて最も不安に思う問題なのではないだろうか。 なぜこのような問題提起をするかというと、総論賛成した人たちが、各論反対となる理由がまさにここにあるからである。総論賛成各論反対というのは、日本では特に多く、冒頭の記事の中でも、システムを変更した時に痛い思いをする人の声があがると、変化のスピードが遅くなるという指摘がある。 さて、今回はこの議論を信仰の側面から見てみたい。 よく出て来る議論は核家族化の議論だが、少なくとも今のいろんな議論を見る限り、少子化や財政破綻、介護などの問題に対して、核家族化の弊害を挙げる声は少なくない。もちろん、日本人の信仰の変化も、核家族化に伴ない大きく変化していったことは間違いない。 もともと、日本は信仰のかなり深い国で、仏教と神道が混在しているが、もっとも身近な仏様はご先祖様であり、最も身近な神様は土地神様や精霊であった。そこには過去から受け継がれた叡智と生への感謝があった。だからこそ、土地を次世代に譲り、系譜を絶やさないことは、重要であったわけだ。ここには、子孫の繁栄への明確なモチベーションがあると思われる。 この思想は、土地と家を守る大家族の中で培われる信仰であって、ここには子孫を繁栄させることで、自らの老後も安心できるという、経済的なリターンもセットでついてきている。このような背景の元では、子供を増やすことそのものが正義といっても過言ではないのだろう。 私の過去の記事も、経済的なリターンと言う1側面のみで議論をしているが、はっきり言って、歳を取って働けなくなった時にたくさんのお金と時間が欲しいとは誰も思わない。今若くて活動できる時に、お金と時間が欲しいのだ。だから、老後の安心感を与えるという議論は、もともと優先順位の高い問題ではないのだろう。むしろ、経済的には、将来の子供という投資をしてくれた夫婦に対して、国がすぐにリターンを返し、新しい世代という人財は、国が享受することが自然な解決の流れだろう。 一方、問題の根底に流れる、信仰が薄れたことによる、次世代繁栄のモチベーションの欠如をどうするか。ここには2つのアプローチがあると思う。1つは子育ての行為そのものに意味を持たせること。もう1つは、過去の思想を取り戻すことである。 前者は、子育てそのものが楽しめるものであること、子育てをして次世代に人を送り出すことが、なによりも社会の役に立ち、達成感の高い仕事だと社会に認められることだと思う。今や、子育てをして当たり前ではない。子育てを出来る人は、尊敬すべきで、凄くて偉いのだ。教育などを通して、こういう思想を浸透させていくことも、ある時期には必要かもしれない。 後者は、過去への尊敬からはいる事が1つのアプローチになると思う。過去の叡智への敬意と感謝。それからにじみ出る思いやりの心。感謝と思いやりは、多くの宗教が説いており、強い信仰を持つことで、信条へと変わっていく。信仰の薄れた日本で、いかにこの信条を説いていくか。それは、大人、特に年配者が自らの身を持って示すことが、最も重要なアクションだと思う。親として、孫と接する祖父母として、今を生きる子供たちに感謝と思いやりを根付かせるにはどんな言動をとる必要があるのか。 冒頭の対談が、今後の展開で、自らの行動が若年層に感謝と思いやりをもたらすために、何をするべきかという議論にまで発展するといいな、と思います。