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GW後半の関東地方は、土砂降りの雨でスタートです。今日は上野の国立科学博物館に行って来ました。雨が降らなければ、動物園に行く人も多かったのかもしれませんが、いかんせん、雨。屋内施設の博物館はすごい人出です。近年、理系離れが叫ばれていますが、この人気振りを見れば実はそうでもないんじゃないかと思ってしまいます。
愛・地球博から移設したシアター36○も30分待ち。幼児にわかりやすい内容とは言いがたいですが、身じろぎもせずに見る6歳児。どうやら待った甲斐もあり、満足だったようです。
博物館は地球館6層と日本館3層からなる大きな博物館ですが、宇宙と恐竜がみられる地球館のほうから回ります。午後からなので、日本館のほうは、今回は回れませんでした。 地球館2階、科学技術ゾーン:いろんな実験遊びや、技術発達の歴史が展示されているフロアです。今日は混雑がひどく、どの遊具もちょっと待たないと遊べません。展示ゾーンだけを一回りして終了。ロケットや飛行機など、子供達の目を引くものもあったようです。「アポロ11号は?」と聞かれました。が、ここにはないようです。 地球館地下3階、宇宙ゾーン:宇宙発生からの137億年の歴史を紐解くゾーンです。子供達は宇宙誕生の映像とか星の大きさ比べとか、星を探して銀河を旅するシミュレータとかいろいろありますが、内容を理解するにはまだちょっと早すぎるようです。でも、なんだか楽しんでいました。
地球館地下2階、古代生物ゾーン:カンブリア紀の頁岩から取れるプランクトンの化石から始まって、大型の海生爬虫類の骨格、旧人類まで地球生命の歴史が勢ぞろいです。あまりに古い時代のプランクトンにトラップされたせいか旧人類にたどり着くころには、もう子供達はつかれきってしまいました。でも、なかなか骨格が展示されていないインテリコテリウム(史上最大の陸生哺乳類)の標本がありました。 こちらは、小説指輪物語をもとにホビットと名づけられた猿人。2~300万年前の猿人は、子供くらいの体格だったようです。
地球館地下1階、恐竜ゾーン:ここは展示面積は狭いですが、狭いスペースにぎっしりと恐竜の骨格標本が展示されています。でも、ここで子供達の体力も限界。時刻も4時を回り、今日のところはこれでお開きです。 地球館1階、海生生物ゾーン:コウくんたっての願いで、退館間際に3分だけ見て回りました。模型を使ったまるで水族館のようなエリアです。ジンベイザメやマンボウに思わず声があがるコウくん。ハクジラとヒゲクジラの口の仕組みの違いや、海底火山に集まる貝や蟹などを駆け足で見て周り、気が済んだようです。
結局、退館するまで雨は降り続いていました。 明日は晴れるといいですね。
今回の旅行はじぃじとばぁばのリクエストでの3世代旅行なのです。 関東地方は、出発前日には雨でしたが、当日は晴れ。 あぁ、いい天気でよかったなぁって、沖縄は曇りの予報で、しかも4日間ずっと曇り時々雨という悲しい天気予報。 すでに海開きとは言ってますが、気温25度天候曇時々雨で、本当に海に入れるのでしょうか?
前日も、ママは幼稚園の今年度の役員さんとか決めたりする集まりで、夕方遅く帰宅。私は休暇中の仕事を抱え夜11時に帰宅。 というわけで、旅行の準備は真夜中にやることになっちゃいました。
平日の出発で、会社も幼稚園もお休みをとったのですが、いつもどおり朝7時に起床。4日間のあいだ、 かわいいペットのプレちゃんたちともお別れです。彼らは羽田空港のペットホテルで帰りを待ちます。
なんだかんだで出発は10時。11時半に空港でペットを預け、お昼ご飯を買ったりして、13時の那覇行きフライトには余裕があるどころか、飛び乗った感じです。
東京-沖縄便って、3時間もかかるんですね。 もうちょっと近いかと思っていましたが。 子供たちも、すっかりお昼寝して充電です。
午後4時。 ようやく那覇に到着。 すでに、じぃじとばぁばが待っていました。 とりあえず、空港の熱帯魚水槽にトラップされて・・・。 ようやくレンタカーに乗ったのは5時。 途中、コウくんのケーキ(今日は6歳の誕生日なのです!)を探して、おもろまち付近を彷徨い、なんとホールのケーキをゲット。 夜のバースデーパーティが楽しみです。
1泊目のホテルは「沖縄かりゆしビーチリゾート オーシャン&スパ」巨大なビーチリゾートのホテルです。 おもろまちからは車で1時間と少々です。 部屋に入るころには、すっかり7時を回っていて、出歩くのも遅くなっちゃうし今日はホテルのレストランで食べようか? なんて話をしながらホテル内を物色するも・・・・めぼしい店がない。 で、ホテルの入り口すぐにある居酒屋「おji~」になりました。 沖縄料理の店で、料理はとてもおいしかったのですが、子供たちには不評だったみたいです。 豚、豚、豚のオンパレードで酒飲みにはいいですが。 それに、コウくんはバースデーパーティの行方が気になって、食事どころではなかったみたい。
すっかり遅くなってしまいましたが、部屋に帰ってきてケーキをご開帳。 やっとのパーティと、プレゼントのビリーザロッド&NSマグフォンに子供たちは大はしゃぎ。ですが、ここでさすがのわが子達も電池切れ。 楽しみにしていた、温泉(大きいお風呂)にも行かないで寝るとぐずっているのを風呂に入れ、長い1日が終わりました。
勝間和代(経済評論家)×村木厚子(内閣府政策統括官兼待機児童ゼロ特命チーム事務局長)vol.2"空気のような差別"が満ちるこの国で女性が直面する「産み悩み」と「育ての苦労」 facebookのメッセージを追っていたら、こういう記事が目に留まった。web上の記事としてかなり長い記事だったが、とりあえず読んでみた。vol.3に続くということなので、まだ続きがあるようだ。 いくつか感想があるが、女性だけで女性問題を論じるとこうなるのか。というのが第一印象。ただ、ご苦労はされたかも知れないが勝間さんも村木さんも、ある意味うまくいった側の方で、しかもお2人とも相当に頭が良い。話の中身はなるほどと思うことがとても多いし、しかも内容が具体的に何をするべきかまで落とし込まれている。 で、記事を読んで分かることは、日頃自分のことばかりにかまけている一般peopleが思いつくようなことは、およそ誰かが思いついているし、議論されていて、放置されているわけではない、ということである。皆がこういう記事に関心を持つと、政治離れや政治家への不信感も多少払拭されるのではないかと言う気がする。 このブログでも、今年2月に少子化対策と年金政策は表裏一体であるべきだという意見を記事にしたが、まさにこれは個々人が自らの損得と、社会全体の行く末をどう捉えるか、なぜ皆がそう考えるのか、という最も根本的なところに、最後は行き着くと思う。繰り返すが、最後には、子育てしないと損だと思わせないと、少子化は収まらない。 冒頭に紹介した記事にも、子どもへの資源投入は、最も確実な投資の1つだという意見があった(vol.1のほうだったかもしれないが)。ここで重要なのは、誰が投資して、そのリターンが誰に帰ってくるか、個人としての損得がどうか、ということである。 子育てには、時間とお金の両方がかかる。子供への投資は、拠出者に資金供給させることで娯楽を奪い、時間供給させることで自己実現の機会を奪うことになる。両立はもちろん可能だが、子育てをしない場合に比べて、不利なことは間違いない。これを投資と考えるなら、リターンは子孫の代の繁栄と老後の安心であろう。子孫の繁栄に個人としての実利はないので、老後の安心と引き換えに若いころの娯楽や自己実現の機会を拠出するかというと、おそらく多くの人がNoと答えるのではないか?その根底に流れる心はなにか、というのが日本で少子化が解決しにくい、根底の問題なのだと思う。この議論は、子育てと自らの人生との両立を曲がりなりにも果たした人同士の会話では、おそらく出てこない問題だと思う。そして、これから少子化の鍵を握る若い世代が、先の人生を考えて最も不安に思う問題なのではないだろうか。 なぜこのような問題提起をするかというと、総論賛成した人たちが、各論反対となる理由がまさにここにあるからである。総論賛成各論反対というのは、日本では特に多く、冒頭の記事の中でも、システムを変更した時に痛い思いをする人の声があがると、変化のスピードが遅くなるという指摘がある。 さて、今回はこの議論を信仰の側面から見てみたい。 よく出て来る議論は核家族化の議論だが、少なくとも今のいろんな議論を見る限り、少子化や財政破綻、介護などの問題に対して、核家族化の弊害を挙げる声は少なくない。もちろん、日本人の信仰の変化も、核家族化に伴ない大きく変化していったことは間違いない。 もともと、日本は信仰のかなり深い国で、仏教と神道が混在しているが、もっとも身近な仏様はご先祖様であり、最も身近な神様は土地神様や精霊であった。そこには過去から受け継がれた叡智と生への感謝があった。だからこそ、土地を次世代に譲り、系譜を絶やさないことは、重要であったわけだ。ここには、子孫の繁栄への明確なモチベーションがあると思われる。 この思想は、土地と家を守る大家族の中で培われる信仰であって、ここには子孫を繁栄させることで、自らの老後も安心できるという、経済的なリターンもセットでついてきている。このような背景の元では、子供を増やすことそのものが正義といっても過言ではないのだろう。 私の過去の記事も、経済的なリターンと言う1側面のみで議論をしているが、はっきり言って、歳を取って働けなくなった時にたくさんのお金と時間が欲しいとは誰も思わない。今若くて活動できる時に、お金と時間が欲しいのだ。だから、老後の安心感を与えるという議論は、もともと優先順位の高い問題ではないのだろう。むしろ、経済的には、将来の子供という投資をしてくれた夫婦に対して、国がすぐにリターンを返し、新しい世代という人財は、国が享受することが自然な解決の流れだろう。 一方、問題の根底に流れる、信仰が薄れたことによる、次世代繁栄のモチベーションの欠如をどうするか。ここには2つのアプローチがあると思う。1つは子育ての行為そのものに意味を持たせること。もう1つは、過去の思想を取り戻すことである。 前者は、子育てそのものが楽しめるものであること、子育てをして次世代に人を送り出すことが、なによりも社会の役に立ち、達成感の高い仕事だと社会に認められることだと思う。今や、子育てをして当たり前ではない。子育てを出来る人は、尊敬すべきで、凄くて偉いのだ。教育などを通して、こういう思想を浸透させていくことも、ある時期には必要かもしれない。 後者は、過去への尊敬からはいる事が1つのアプローチになると思う。過去の叡智への敬意と感謝。それからにじみ出る思いやりの心。感謝と思いやりは、多くの宗教が説いており、強い信仰を持つことで、信条へと変わっていく。信仰の薄れた日本で、いかにこの信条を説いていくか。それは、大人、特に年配者が自らの身を持って示すことが、最も重要なアクションだと思う。親として、孫と接する祖父母として、今を生きる子供たちに感謝と思いやりを根付かせるにはどんな言動をとる必要があるのか。 冒頭の対談が、今後の展開で、自らの行動が若年層に感謝と思いやりをもたらすために、何をするべきかという議論にまで発展するといいな、と思います。